立つ鳥、母に土下座
海外に長期で出るとなると必要になる手続きはこれでもかというほどに、ある。
しかも出国2週間前くらいにならないと受け付けてもらえない。
出国前の9月、引っ越し前になんの罰ゲームなん?と半泣き汗だくで走り回った。
自治体によっても変わる可能性はあるので、行かれる方は1か月前くらいからちょこちょこ調べることをお勧めしたい。
これから書くのは大阪市の手続きだが、ワーホリ中の日本人に聞くと大体同じフローだった。
どこかのだれかのために、チェックリストを作っておこう。
1.海外転出届
区役所にて:1年未満であれば提出不要だが、提出しない場合は年金・住民税などの支払い義務があるので各々ご検討ください。とのこと。
渡航が決まっていれば1か月前から受付可能だが天候・体調不良などで出られないとなった場合に備え2週間前手続きを職員から推奨された。
※マイナンバーカードは転出届提出時に返却(使用不可)となる。
2.国民健康保険
区役所にて:海外転出届をだしたため加入不要。社会保険は退職にあわせて会社が手続きを行うため自分での手続きはなし。
3.年金
区役所にて:海外転出届を出したため加入不要。厚生年金は社会保険と同様に退職にあわせて会社が手続きをおこなうため自分で手続きは不要。国民年金への加入も可能とのことだがいない間、将来もらえない年金を払う・・・?収入ないのに、、?と思い加入してない。こちらで聞いても誰も加入していない。
4.住民税
市税事務所にて:1/1時点で日本に住民票があれば支払い義務あり。退職時期次第で会社が手続きしてくれるが残った分は自分で支払い要。出国3週間前に手続き完了。
※市税事務所に行って、納税管理人の申請要。市税事務所から納付書が来るので支払いに行く必要あり。海外からはできないので親しい人や税理士に依頼するよう案内された。マイナンバーカードが必要だったため、海外転出届提出前に対応が必要!
5.確定申告
税務署にて:住民税と同じく税務署に行って納税管理人を申請する必要あり。親しい人や税理士を申告して代理対応してもらう必要あり。出国2週間前に完了。
※予約が必要なのと、マイナンバーカードが必要だったため、海外転出届提出前に対応が必要!
わたしの場合は引っ越しも伴ったため、
6.管理会社に賃貸契約終了の連絡、手続き
7.水道・ガス(報知器)・電気・Wi-Fiの解約手続き
8.郵便局へ転送届提出
9.銀行・生命保険の住所も変更 ※マイナンバーカードが必要!
10.NISAの売却
11.クレジットカードなどの住所も変更
12.NHK解約(←ここ結構大事。加入してる一人暮らし、いる?まじめばか一徹っていわれたよ。国民の義務だよ。見てなかったけどね。わたしの誠実さを表すエピソードなので就活の際には言おうと思う。)
13.残高証明を出す
銀行にて:渡航1週間前のものを持っていきたかったため10日前に申請に行って翌週に受け取った。・・・使ってない!)
14.確定拠出型
わたしはこれがよくわからず、出国後に書類が届くため母に頭を下げて依頼してきた。
WOOOOOOOOOO!
大体こんな感じだ。渡航後の給与については20%で課税され、健康保険年金も引かれるので前支給額の60%ほどが税として持っていかれている。
有給消化分だとしても給与明細みて心底がっかりした。
とはいえ、わたしは改めて日本のことは好きだ。
わたしの日本への愛をここに書くと脚くらいの長さの記事になりそうなのでやめておこう。納税はちゃんとするので、必要なひとに届いてほしいし日本の将来のために、使ってほしい。
していいのかどうかは知らないが失業手当ももらってからきている人もいる。
役所手続き考えるとすべて終えてから(退職日の2か月後くらい?)でもよかったのかなと思うが、わたしは引き延ばすと出会えなかったひとがたくさんいるしできなかった経験もあるので、このタイミングで後悔はしていない。
下でグランマが呼んでいるので今日はここまで。
最後まで読んでいただけた方がいらっしゃればうれしい。
思い立ったが吉日
バンクーバー行きを決意したきっかけは、社内の辞令だった。
金融業は就活の時は若手でもチャンスが!などというが実際は年功序列だ。
(企業によるのかもしれないが)
このまま仕事を続けて ガンバリマス!と言ってれば評価・実績はそれなりによかったのでキャリアは問題ないだろう。
でもあと30年同じことをやりたいか?・・・やりたくない。
じゃあ結婚?いやいや 彼氏おらん。単性生殖できひんかぎり子供もむり。
じゃあ転職する?今の仕事以外のスキルはないので給料を維持できなかったらそれは後悔しそう。
考えた末、本社の部署への異動を希望し、書類選考・面接もして結果を待ちだった。
これが無理だったら、やりたいことを思う存分やろうと考えていた。
そんなときに出た事例が、市内のオフィスから地方への異動だった。
面食らった~~~~~~~~~~~~~~~ッッ
新部署での仕事内容も変わらなかったので、結構頑張ってきた”つもり”?会社はがいつでも従業員の希望をかなえられるわけではないことはわかっていてもこれはかなりショックだった。
でも振り返ってみればこれがなければ踏み切ってないので良かったのかもしれない。
カナダいこ。って思ったときにはもう調べてその日にビザ申請を開始した。
すーーーーーぐ やった。
なんならやってから、家族にも報告した。
そんなこんなで4月にはワーホリビザの申請の1回目を完了していて留学エージェント探しも同時に開始したのである。
VISA
ビザの申請はYouTubeをみながら自分で行った。エージェントに頼むと楽だが数万かかるようだ。最初の申請から取得までは最短だと1か月かからず取れると思う。
私の場合は1回目の申請→翌日に受理し次のフローへ→入力完了→翌日に次のフローへの案内と爆速でわたしが平日に休みが取れなかったのでバイオメトリクス取得に時間がかかった。
こちらに来ても思うが、役所の人・バスの運転手など雑なのでこれもまた運なのだろう。
サイトにログインするときに、秘密の質問:父の名前、母の名前、兄弟の名前とかいろんな項目があるのだが、本人でさえすんなり入れない超厳重プロセスで難攻不落の山城に攻め入る武士さながらである。入力エラーになった時は法螺貝が頭の中で鳴り響いていた。(家族の名前くらい間違いなく入れろ)
エージェント
エージェント探しはネット検索で出てきたところに3社ほどに見積相談も行った。エージェントなしで契約もできるのかもしれないがなかなかそんな猛者はいない。
エージェント探しの際に着目してたのは ①手数料無料か ②出国前の勉強のサポートがあるか ③現地にデスクがあるか といったところだ。
現地デスクに関してはなくても。という人が多いかもしれないが、絶対にあったほうがいい。日本のエージェントの事務所は契約後のサポートは基本的にないと思ったほうがいい。
銀行口座開設、レジュメのコピー、郵便物の預かりを今までやってもらったが現地情報も教えてもらえるので助かっている。
以上ちょっと使える情報を。
おふざけなしの文章はなかなか書くのも読むのも体力がいるので本日はここまで。
1年住もうとなると、旅行ではなかった困りごとがちょこちょこ出てくるんだなと痛感した1か月だった。
日本人と関わらないスタイルの方もいるしそれはそれでいいと思うが、わたしは同時期に来た日本人から情報をとにかくたくさんもらったし、わたしの結構な順調さはそういったところから生み出される「縁」と「運」によるものなのかななどとも思うので、せっかくなので一生関わらなそうだなと思った人とも仲良くなってみよう。
めんどくさい気持ちをこらえて。かしこ。
こんなに長いのを最後まで読んでくださった方が一人でもいると励みになります。
誰かの役にたったならなおうれし。
食前酒の代わりに
バンクーバーに到着して、1か月半が経過した。
現在私は語学学校に通いながら
12月から住む部屋の契約と働く場所が見つかった←NEW! ところである。
日本にいたころは 2か月もあればなんとかなる。などとなめていたが現実は甘くない。やってみて痛感するが本来私のように語学力なしの下下下のきつ太郎には辛い、激辛である。
ものすごく運がいいのである。もちろん努力はしたがすごくトントン拍子に事が運んだ。
余談だが私は今年の正月に大凶を引いたのだが、大吉の間違いだったのかもしれない。全部うまくいかないみたいなことが書かれていたがそういう大吉もあってもいいと思う。
多様性の時代だしね。
ひとまず、私のこれまでの動きだが
3月から4月に決意しビザの申請を開始
4月・5月はビザの手続きをしながらエージェントを探していた
6月勉強もろくにせず、だらだらしていたらビザが下りた
7月末に留学エージェントと契約手続きにすすみ会社にも退職の意思を表示する
8月仕事に追われながら勉強を開始
9月退職し、引っ越しと海外転出に関する手続きを済ませる
9月末出国、到着
10月から授業開始、家探し、職探しも開始する
10月末 祝☆部屋決定
11月上旬 祝☆職決定
6月に一度 IQ10になったのだが梅雨のせいにしたい。6月の故ツイッター(通じるまでツイッターと呼びたい)を見てみると狩野英孝のマイクラ動画を観るか近所の建設中の住宅の完成状況を実況していたのだが、そのあと必死のパッチで取り戻した。自分の尻は自分でふいて、えらいでちゅ。
ちなみに声を大にして言いたい。
出国までの私のスケジュールは無謀すぎるので真似するのは、やめたほうがいい。
留学エージェントからは社会人でも退職後2週間とかで出国する方もいると聞いたが、「3か月以内に帰ってくる場合」という一番大切な文章を失念しているのではないだろうか。
長期で行くなら1年用意して、心して臨むべきである。
準備時間が足りなかった私は母や家族の多大なる力添えのおかげで今、ここにいる。偉大なる我が母、感謝してもしきれない。
次からはなるべく時系列に従って書きつつ、気まぐれに小話でもはさもうか。
お通しで店のことわかったことない
わたしは 今バンクーバーにいる。
旅行者といえばそうなのだが、学校に通い仕事をしようとしているから住民とも言えそうな気がする これは そう、ワーキングホリデーだ。(すっと言え)
あの世とこの世のはざま、わたしとあなたのはざま、間寛平・・・世の中はざまだらけだがわたしは旅行者と永住者のはざまにいるお姉さんとおばさんのはざまの29歳だ。
不特定多数にむかって文章を書くのは正直 得意ではない。というかやったことがないので傾いた床の上を歩いている気分である。
まずは自己紹介を少々、塩は3g、水は100ml、海水の出来上がりだ。話がそれた。
生まれも育ちも関西。もの心ついたころからバーンと撃たれたら死んだふりができたし、電話なってるで!とバナナを渡されたら あ、もしもし?がいえた。自分でいうのもなんだが優秀な関西人である。
女性。O型(輸血ならおまかせあれ。)
趣味はたくさんあってどれか一つを選ぶことはできないのであらためて書きたい。
前職は金融業でばりばり働いていた。
続ければ、高収入キャリアウーマンの完成だ。が、辞めた。
辞めて、大麻と放尿のにおいが漂い、浮浪者がわんさかいるこの街に
家賃10万払わないとまともな家がないこの広い空のしたでニヤッとしているのである。自分で自分が怖くなるときがある。
決心したのは2023年3月。
大学卒業以来まともに勉強をしてないため、旅行英語程しか話せないのだが人生このままでいいのか考えた結果、一番のいばらの道を選択した。
準備段階からいばらが多すぎて、ずたずただ。
拝啓 半年前のわたしへ、覚悟しろ、うまくいかないことが7割だぞ。敬具。
6月、ビザが入手できたため7月に退職を申し出でて、9月末にこの地の降り立った。
かくかくしかじかがあったのでまたそれは書く書くできたらよいとおもう。
余談だがわたしのモットーとして
「今が一番若い」「やらぬ後悔よりやった後悔」「迷ったときは難しい道を選ぶ」
というものがある。めっちゃ意識高いやん。ぜんぜんついていかれへんわ。
と思いながら、毎度ついていけないことを選んでヒーヒーゆって中途半端に終わるのだが、まあそれが完成形と言ったらそんな気もするし私がいいと言ったら、いいだろう。
そんなわたしの日々を備忘録と、ここで生きているだけで莫大な金がかかるのだからだらっとしてまわないよう、つづってみようとおもう。
またこれが、のちにこの地に来る誰かの助けにもなれたらうれしい。(難破船のなかで船長らしき人か残した手記みたい。)
お付き合いいただけたら、そしてクスッとしていただけたら
幸(サチ)~~~~~(ここでギャルピース✌)