酒は人生の子守唄

バンクーバーで苦戦するアラサーのひとりごと

思い立ったが吉日

バンクーバー行きを決意したきっかけは、社内の辞令だった。

金融業は就活の時は若手でもチャンスが!などというが実際は年功序列だ。

(企業によるのかもしれないが)

 

このまま仕事を続けて ガンバリマス!と言ってれば評価・実績はそれなりによかったのでキャリアは問題ないだろう。

でもあと30年同じことをやりたいか?・・・やりたくない。

じゃあ結婚?いやいや 彼氏おらん。単性生殖できひんかぎり子供もむり。

じゃあ転職する?今の仕事以外のスキルはないので給料を維持できなかったらそれは後悔しそう。

考えた末、本社の部署への異動を希望し、書類選考・面接もして結果を待ちだった。

これが無理だったら、やりたいことを思う存分やろうと考えていた。

 

そんなときに出た事例が、市内のオフィスから地方への異動だった。

 

面食らった~~~~~~~~~~~~~~~ッッ

 

新部署での仕事内容も変わらなかったので、結構頑張ってきた”つもり”?会社はがいつでも従業員の希望をかなえられるわけではないことはわかっていてもこれはかなりショックだった。

でも振り返ってみればこれがなければ踏み切ってないので良かったのかもしれない。

カナダいこ。って思ったときにはもう調べてその日にビザ申請を開始した。

すーーーーーぐ やった。

なんならやってから、家族にも報告した。

そんなこんなで4月にはワーホリビザの申請の1回目を完了していて留学エージェント探しも同時に開始したのである。

 

VISA

ビザの申請はYouTubeをみながら自分で行った。エージェントに頼むと楽だが数万かかるようだ。最初の申請から取得までは最短だと1か月かからず取れると思う。

私の場合は1回目の申請→翌日に受理し次のフローへ→入力完了→翌日に次のフローへの案内と爆速でわたしが平日に休みが取れなかったのでバイオメトリクス取得に時間がかかった。

こちらに来ても思うが、役所の人・バスの運転手など雑なのでこれもまた運なのだろう。

サイトにログインするときに、秘密の質問:父の名前、母の名前、兄弟の名前とかいろんな項目があるのだが、本人でさえすんなり入れない超厳重プロセスで難攻不落の山城に攻め入る武士さながらである。入力エラーになった時は法螺貝が頭の中で鳴り響いていた。(家族の名前くらい間違いなく入れろ)

 

エージェント

エージェント探しはネット検索で出てきたところに3社ほどに見積相談も行った。エージェントなしで契約もできるのかもしれないがなかなかそんな猛者はいない。

エージェント探しの際に着目してたのは ①手数料無料か ②出国前の勉強のサポートがあるか ③現地にデスクがあるか といったところだ。

現地デスクに関してはなくても。という人が多いかもしれないが、絶対にあったほうがいい。日本のエージェントの事務所は契約後のサポートは基本的にないと思ったほうがいい。

銀行口座開設、レジュメのコピー、郵便物の預かりを今までやってもらったが現地情報も教えてもらえるので助かっている。

 

以上ちょっと使える情報を。

 

おふざけなしの文章はなかなか書くのも読むのも体力がいるので本日はここまで。

1年住もうとなると、旅行ではなかった困りごとがちょこちょこ出てくるんだなと痛感した1か月だった。

日本人と関わらないスタイルの方もいるしそれはそれでいいと思うが、わたしは同時期に来た日本人から情報をとにかくたくさんもらったし、わたしの結構な順調さはそういったところから生み出される「縁」と「運」によるものなのかななどとも思うので、せっかくなので一生関わらなそうだなと思った人とも仲良くなってみよう。

めんどくさい気持ちをこらえて。かしこ。

 

こんなに長いのを最後まで読んでくださった方が一人でもいると励みになります。

誰かの役にたったならなおうれし。